熊野 大丹倉 西峰
2003年11月7日〜8日
万福・嶋村
11/7
先週と同じく18時半、レべル10前を出発。22時半、林道沿い展望所着、車中泊。
11/8(晴)
7時出発。8時、西峰の「junkie world」5.12b 310mの取付き着。1P目5・10c下部は苔が着いていてやらしそう。おまけに前日の雨で濡れている。1ピン目まで5m程ありグランドフォールの可能性大。私なら迷わずプリクリップするが.(自作の特長ちょんぼ棒を持参していた)、嶋村君リードなので聞いてみると、プリクリなんてプライドが許さないらしい。しかし、結局プリクリしてスタート。濡れた苔は20m位続いていて、かなり慎重なクライミングとなる。ペッツルは見えているのでルートは間違っていないはずだが、登った形跡はまったく見当たらない。1時間近くかかったが、ノーテンションでのオンサイトは流石である。セカンドの私はいきなりロープにブルージックをとり、ロープのみに頼って登り出す。しかし、次のピッチに備え、残り10m程は岩の感触を確認するためフリーに切り換え登る。2P目5.10b万福リード、資料には「グレ一ド以上の精神的負荷を感じる。はじめはバンドの中程から直上するが、見た目以上の傾斜であり細かいホールドの核心部である。2ピン目の手前でミスは許されない」と書いてあったが、そんな事いわれても困るのである。緩いバンドを少し左上してから直上する。1ピン目にクリップするが、2ピン目が見えない。壁はほぼ垂直で、少し上の傾斜の落ちた所に2ピン目があるらしい。確かに2ピン目の手前でミスは許されない。落ちると絶対にバンド直撃である。恐怖で体がこわばるが、突っ込むしかない。2ピン目まで直登を試みるがホールドが悪く、左側から回り込むラインに変更し、何とか2ピン目のすぐ横までたどり着きホッとする。右手をガバホールドに掛け、クリップしようとした瞬間「パキッ!」と音を立てホールドは壁から外れた。「何で?」「ここは何処?」「私は誰?」「バンドまで何m?」「中野さん、明日のコンペ頑張って下さい!」「本多さん、私の代わりに長生きして下さいね?」一瞬にして色々な事が脳裏をかすめる(ウソ)。きっと悪い夢に違いないと納得した次の瞬間、現実に戻る。お尻から背中に、つづいて後頭部に衝撃を感じる。仰向けで落下し、バンドにお尻からぶつかり、バク転状態で転がった事を理解する(ウソ、後から嶋村君に聞いて知った)。バンド下のブッシュに突っ込み、やっと体が止まる。背中を打ったのでしばらく呼吸が出来ず、苦しんでいると「大丈夫ですか?」と声がかかる。大丈夫なわけはないだろう!と思いながらも「大丈夫!」と返事を返し、しばらく気持ちを落ち着ける。嶋村君が覗き込んでいるのが見えるので、頭は大丈夫らしい?(もし嶋村君が韓国の美人クライマーに見えていたら、かなりヤバかった。※インスボン報告参照)、血が出ているが手も足もちゃんとある。バンドに戻ろうと右足を踏み出すと踵から足首にかけて激痛が走る。「やってしまった!」嶋村君にこれ以上登れそうにない事を告げ、テープで足首を固定し、撤退の準備。1ピッチの懸垂だけで済んだのは不幸中の幸いである。嶋村君には先に降りて車を林道の取付地点まで乗って来てもらうように頼み、私は這いずるようにして踏跡を下降する。普通は10分位のところを1時間近くかかり林道に到着。右足だけでなくお尻や背中や左膝も痛く、途中からは四つん這いになって、まるでダグ・スコットの『奇跡の生還』思わせる光景であった(写真を撮っておけばよかったと後悔する)。12時、大丹倉発(運転は当然嶋村君)。4時、自宅到着。9日はべッドから降りることも出来ず、衆議院選挙も棄権。10日の朝、病院に行き、右足踵骨折(ヒビ)でギブス装着・全身打撲(湿布・包帯・痛み止め薬・胃薬をいっぱいもらう)で全治1カ月との事。しかし、松葉杖で出社し一応仕事をする(ふりをする)。皆さんがこの報告書を読む頃にはきっと復帰しているはず。
不死身・不屈のクライマー万福(ちなみに不惑はとっくに過ぎています)
